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BRAND STORY 創業ストーリー

カツデリ・創業ストーリー

≪カツデリの前夜≫ ~The night before ~

  • 幼少期

    私は、建設業を経営する父の長男として育ちました。
    「沖縄の長男=家業を継ぐ」という意識は全くなく、だからと言って、何か人に誇れるものがあるわけでもないまま、ただ流されるまま地元の大学に入学しました。

  • 学生時代

    学生時代はアルバイト三昧の毎日
    「学があっても、仕事ができない男にはなりたくない」と思っていました。おかげで、1年時の前期は2単位しか取れませんでした(笑)
    なんとか、卒業はしましたが、
    「俺は就活なんてダサいことはしない。もっとビッグな男になる」
    と豪語していました。

  • 卒業後 就職

    卒業後、就職したのは生命保険の外交員。
    実力の世界、営業の世界は、ビッグになる上では避けては通れないだろうと思ったのです。
    社会はそんなに甘いものではなく、営業成績は振るわず、ただ友達が減っていくばかり。
    心身共に、病んでしまい退職しました。

  • 「出前専門食堂」との出会い

    それから20代では、20職種くらいの仕事を転々と経験しました。ある時は「広報課」と勘違いして「後方課」という肉体労働に就いたり、ある時はゲームセンターの店員をしたり、同族経営のリサイクル会社のごたごたに巻き込まれたり…。何をすればいいのか、どうすればいいのか、全くわかりませんでしたが、常に「独立するビジネスの種」を探していた期間でした。

    そんな中で、たまたまハローワークで見かけた仕事が、とある「出前専門食堂」のデリバリーの仕事でした。今、思えば何にピンと来たのかも思い出せませんが、すぐに応募して働き始めました。入ってみるとボロボロの暗い食堂をご夫婦が2人で切り盛りされていました。

    このご夫婦も独立したてだったのですが、とにかく、食堂の電話が鳴りっぱなし。
    めちゃめちゃ忙しかったのです。
    ただ、オペレーションもめちゃくちゃで、1品1品沖縄料理を丁寧に作るし、食器も回収する昔ながらのスタイルだったので、「これを自分が改良すればイケる!」と直感が働きました。

  • 「ビジネスの種」探し

    この食堂で、デリバリー・チラシの配布・オペレーションの改善をしながら、商品を絞って配達しやすいメニューはないかずっと考えつづけました。

    そしてある時、目に飛び込んできたのが『とんかつ屋さん』でした。
    外食産業の中でも、メニューを絞って成り立っている業種…。しかもデリバリーもしやすい!
    全身に衝撃が走り、さっそく開業の準備に入りました。

    しかし、お金はほぼ「0円」
    これでは、何もできないと思い愛知県のキセツに行って180万貯めて帰ってきました。
    ちょうど、「ビジネスの種」を探していた20代が終わる目前。ビッグになりたかった私も29歳になっていました。

≪カツデリの創業≫ ~Start business~

  • 空き店舗

    苦手な肉体労働も、ようやく見つけた「自分のビジネス」のためなら頑張れました。それでもようやく解放された喜び、久しぶりに帰ってきた沖縄に興奮して、帰省の翌日は、宜野湾市にテナントを借りてしまいました。
    1号店の我如古店。宜野湾市の我如古交差点の角でした。
    事業計画・仕入れ先・メニュー開発…今思えば先にやれることはたくさんあるのに、なぜか一番最初にやったことが店舗を借りることでした(笑)

  • 取引会社探し

    そうすると当然、そこから家賃が発生します。ちなみにその当時の私には、何のコネもなく伝手もない状態でした。決めていたのは「とんかつのデリバリー専門店をやる。」ということだけ。仕入れ先などの業者さんのことは一切知りませんでした。
    そこで、お店からぼーっと外を眺めて、営業車や配送トラックに書いてある社名や電話番号をメモって片っ端から電話しました。

    今考えれば、とんでもない方法ですが、不思議なものでこの時の取引会社さまは、ほとんど今でもお付き合いが続いています。

  • 一瞬の高揚感と、どん底

    従業員も10名程度集まりました。この時は私は一種の高揚感があり、傍から見ると自信満々に見えたかもしれません。なにせ10年、紆余曲折があっての独立なので、それなりの覚悟もありました。
    しかし、実態はオープンの前日まで、「とんかつを揚げる油は、使っていると悪くなる。」ということを知らないド素人でした。肝心のとんかつの調理の仕方は、全然わかっていない…。という恐ろしい状況でした。

    機材は揃えているのに、全然おいしくないとんかつ…。
    オープン初日の売上はほとんどありませんでした。

    毎日、試行錯誤を繰り返しているうちにあっという間に1ヶ月が過ぎると、通帳の残額が驚くほど減っていました。
    「この状態を3ヶ月が続くと即、潰れる…。」
    分かりやすすぎるほどに分かりやすい計算がたってしまいました。

    創業の高揚感など一瞬。
    いきなりどん底に叩き込まれた気分でした。

  • 最悪の想定

    『あなたの考えは間違っているんだよ、そんな甘いもんじゃないんだよ』と頭の中から誰かの声が聞こえました。
    お店に行くのがとにかくツラい、きつい
    『毎日がツラい、死のうかな』と思いました。
    『練炭自殺』を調べました。楽して死にたかった。ただ本気で死のうと考えたら、ある時こんなことが思い浮かんできました。
    『どうぜ死ぬなら、まだやることあるんじゃないか。どうぜ死ぬならやることやってから死んだ方がいい』と急に前向きになりました。

    次に、倒産とか債務整理などを調べました。金融機関からの融資額など計算すると、毎月5万円くらいの返済を10年くらい続ける。大口叩いて出ていった実家に戻るお願いをする。結婚もできなければ、何の希望もない人生が続くことになる・・・。

    自殺や倒産、そういうことを真剣に考えた時、『今はまだ終わっていないじゃないか、自殺はすればそれで終わりだし、倒産まではあと2ヶ月はある。』と人が変わったかのように前向きになり全身に力が湧いてきまいした。

  • はじめての安堵感

    とにかく、「おいしいとんかつじゃないとダメだ!」と思い、原価を上げてまで味を追求。さらに、それまで配っていたモノクロのチラシでは「とにかく怪しい。おいしそうに見えるカラー印刷にしよう!」と残り30万円の通帳から20万円をはたき、デザイン会社に依頼しました。

    すると、この月の終わり…。
    売上は上がったため、初めて銀行通帳の残高が減っていませんでした。
    「これで何とか生きていけるかもしれない…。」
    嬉しさよりも安堵感があったのを覚えています。

≪カツデリの成長≫ ~turning point~

  • つきまとう「人」の問題

    カツデリはその後も順風満帆ではありませんでした。
    1店舗目が軌道に乗り、2店舗目を出店するという宣言をした途端、頼りにしていた社員2名が退職したり…。
    夢や目標さえ、共有できていればみんな同じ気持ちになってくれるという思い込みから、当たり前の残業代などの支払いを疎かにしたり…。

    その結果、労基署に呼び出されたり、社労士さんの前で号泣したり…。
    とにかく、「人」の問題が常に付きまとっていました。

  • 悪化する社内環境

    店舗は次々に拡大するのに比例して、社員とのコミュニケーションは減っていく一方。
    社員がサボって、アルバイトスタッフばかり働かせている…。という現場も見て見ぬフリをしたり…。

    この頃はとにかく売上を上げることを全ての言い訳にして、「人」「スタッフ」から目を背けていました。
    そんな状況下で、初のイートインスペースを持つ首里店を出店。これが今まで一番の損失を生む店舗になってしまいました。
    社内の空気も最悪の時期でした。みんなが売上だけを報告し合い、他店の協力を一切しない。カツデリという同じ会社の仲間ではなく、いつの間にか派閥のある、まとまりのない関係性になっていました。

  • 悔しさからの奮起

    そんなある日、これまでナンバー2として活躍してくれていた人材が、スタッフを引き連れて同時に退職をしてしまいました。
    私は、最初は裏切られた気持ちや悔しい気持ち、辞めいていったスタッフを憎む気持ち…。様々な負の感情にさいなまれました。

    ただ、そんなガタガタになった会社に残ってくれたスタッフがいる。現実に今日もカツデリで、とんかつを揚げて、お客様のところにデリバリーしてくれるスタッフがいる。
    「とにかく今いるスタッフは守らなくていけない。」
    そう切り替えて、今まで自分が怠ってきた、人事・労務・働きやすい職場づくりを一から学び直しました。

  • 人事部門の仕切り直し

    そこで、これまで考えてこなかった会社とは何のためにあるのかを考え、「経営理念」「行動指針」「フィロソフィー」を整備して、スタッフに伝えていきました。

    今は全スタッフみんなで協力し合うことができるようになり、経営と店舗運営を切り離すことに成功し、それぞれが、それぞれの立場で一生懸命働いています。

このように、カツデリの歩みは、決して平たんなものではありませんでした。
また他人に誇れるような会社になったとは、まだまだとても思えません。
それでも、今いるメンバーとこれから出会うみなさんとは、
必ず明るい未来を切り開いていける。
そう信じています。